自分の意識が全てを作っているんだということ。

こんなタイトルを書くと、

出たっ! 桃子さん!って言われそうですが笑


いやいや、もう、これしかないし、

人生、何もかも、誰しも、この法則には逆らえないんだということを

改めて実感している今日この頃です^^


以前は、なるほどなぁ、そうなんかなぁってな程度でしたが、


「いや、桃子さんはそれを実践してはりますから」とか

そういうことをわかっておられる方によく言われていたのですが、


それも、ピンと来ず、


だって、自分の思い通りにならないこともたくさんあるし、

実際、間違った選択をしてきたことも数知れずあるし、


とそんな感じでいたのですが、


もうすぐ50歳、半世紀を生きて来た私がめちゃめちゃ感じることは、


人生どう転ぶも、人生は自分で決め、その結果がその先の人生になる。


ということだと、確信しております^^


あくまで私的な感覚ですが、


それをやるのか、やらないのか、決断しないといけない時があるならば、


目を瞑って考えた時、

80パーセント以上、そう決断したくて仕方ないという後光みたいなんが差してきた時、

それはまちがいなくその道を選んで良いということ。


そう決断しない方がいい時というのは、

その決断をしないといけない時、自分が何か落ち込んだり、気分が乗らない状態にある時に受けた話ではないかとまず確認し、

もしその時に、あ、私に救いの手が差し伸べられた!と飛びつくような選択であれば、それはノーだと思います。つまり、お誘いや決断を見送った方がいいということです。


また、不安はいっぱいだけど、それを決断することで自分のやりたいこと、未来が、まるで音符のように次々と頭の楽譜上にメロディを奏でた時は、たとえ不安が50パーセントを越していても、決断して良いと思います。



何より、人からでもいいし、自分の思いついたことでもいいし、

その先が、詰まることなく、広がっていくかどうか、というこの感覚が大事だと思います。


その描いた先に、自分の笑顔はあるか?

他人はどう思うだろう?とかそのような入らない邪念が一切入らなかったか?


そうココです。


自分の人生に、他人の思いは関係ありません。

自分がどうしたいか、これに尽きると思います!


もし選んだ道が、

なんでこんなに辛い道だったのか?ということになっても、

それは必ず、その先の人生の枝葉になるはず。だから、すべて人生の経験で

人生の宿題だと私は思っています。



私が離婚した時の辛い思いも、

今は、恨むとかそんなことなく、もうシャッターの向こう側の話になっていて

なんの感情も生まれないのは、

それも私の人生の経験だったのだと思っています。


母との確執も、徐々に雪解けし、

今、アメリカに飛び立つ前にほぼほぼ解消しているというのは、

これもまた、神様が私にお与えになった宿題^^

今、母にも神様にも天国にいる父親にも、心から感謝できる気持ちです。


人生50年、この先を

「あー、もう老いしかない。子供も離れて、今まで子ども捧げてきた時間を、これからどうやって生きていこう」

ととらえるか、

「今までの人生経験を生かして、この先どんなハッピーな毎日を過ごしていこうか!」

ととらえるかで

全然、人生が違ってくると思います。


私は、娘のことを心配することは死ぬほど心配してましたが笑

なーんだ、娘は娘の人生。母親は見守り、聞かれたことに答える、そして自分は幸せになる!

これでいいんだと教えられました。


そう思うと、人生って楽しいなぁ。


いつ死んでもいいように、毎日を悔いなく、自分がのびのび引っ張られる方に

生きていくことが、本当に大切なことなんだなぁと思っている今日この頃です。


英語を勉強して、流暢になったら(無理かもだけど、やるべきことはやるぞ!)

世界中にいっぱい友達できるなぁ。

アメリカでどんな新しい知らない文化と出会うんだろう?楽しみィィ。

仕事だってできるんだから、まずはいっぱいアメリカを見て、そのうち探していこう。きっとあるはず!



Be careful for what you ask for.


昨日、英会話のレッスンでウィリアム先生から習ったフレーズ。


一瞬、厳しい言葉のように思えますが、

直訳すると、あなたがやりたいと思うことに注意深くなりなさい、

みたいな意味になるのかもしれませんが、

これは裏返せば、望めば叶う、という意味なのだそうです。

なるほどなぁ、だから、自分の望みはより深く、具体的に描かないといけないんだ、

かなっちゃうから^^



素敵な英語のフレーズですね。


ウィリアム先生も、そう親から教えられたと言ってました。


もし、望みがなかなか叶わない人がいたらならば、

きっとそれは、具体的に思い描けてないから、

自分で諦めようとしているから、

もしかしたら、それが本当にしたいことではないのかも、というサインかも??


自分を自分に責任を持って、楽しい!と充実感を抱けるならば、

他人がどう思おうと、それを選択することが、人生の喜びだと

私は思っています♡


長く、なんか偉そうなこと書いてるなぁと思いつつ、


今日はこのことをすごく書きたいと思って、朝から頭が冴え冴えでしたので

ガガーーーーっとブログってみました^^;


失礼いたしました^^



最後に、


世界がどうぞどうぞ争いなく、平和でありますように。

間違った選択がなくなりますように。

心より祈りたいです。


生きるということの幸せを、皆が持ち続けられますように。















PEACH☆THEORY

人生いろいろあるから面白い。わたしの人生、8のつく歳に良くも悪くも大きな事件があるなぁと思っていたら、48歳、やっぱりこの8のつく歳もりっぱに変化がありました。渡米、結婚(再婚)、新居のこと、娘のこと、母のこと、仕事に対する思いetc。ここに来るまでにはホント紆余曲折あったけど、開いてみたら、幸せの玉手箱の年だったと思っています。そんな48歳で起こった私のこれやを思うがままに綴っています。

1コメント

  • 1000 / 1000

  • mako

    2017.06.04 03:42

    私もぜったいそう思います! お元気でよかった。ブログの更新はアメリカから・・・になるのかな。