夫が帰ってきた。娘が旅立った^^

ほんまに慌ただしいこの1週間でした〜〜〜。


先月末の早朝に、

我がぶっ飛び娘、無事東京へ旅立ち😌

ホッとしていると同時に、

東京のマンションに着くなり、


「あれがない、持ってくるの忘れた!送ってくれ〜」の 娘からのlineの嵐(ー ー;)

普段はラインしても既読にもならず2日間とかザラ。

電話は、ほぼ99%出ず。

そんな娘なのに、


こんな時だけ、即既読。即電話取る。


(−_−;)


そんなもんですよね。


ほんまにいっぱい忘れ物しているらしく、


カーテンのフックを持っていくの忘れたので

カーテンつけられず、


部屋の電気のシーリングライトの一つの部品を一緒に納戸から持っていくの忘れて

明かりなし、


冷蔵庫、洗濯機、電子レンジも友達からまだ届かず、



_| ̄|○(泣)


「まー、なんとかなるし笑」と娘さん。




想像したら恐ろしい状態の部屋に暮らし始めたようですが、


いつぞや、娘のことをみてもらった時に、


「らんちゃんは、生きていく力は大人の100倍以上ある」

と言われたことがあるので、

それを信じて、というか、まさにその通りになってるなぁと思いながら、


京都から娘を応援したいとおもています。




一体、あの娘さんは、私のどの家計のどの血を受け継いで

こうなったのでしょうかねぇ。


わらけます。


ちなみに私の母(娘のおばあちゃん)は、

こういうぶっ飛び孫に麻痺してきたようで

引きつった笑いを浮かべていた時から

さらに進化して、

「生きていく道が見つかって、ほんまによかったと思ってる」

と、喜んでおりました笑


「あんたもそぅやけど、

娘と孫と、心配な人が近くにいると血圧上がるから

離れて暮らすのが一番ええな。

みんなにもそーゆーてるねん」

と母は言ってます。


こういう風に

母と二人でお茶のみながら話せるようになっただけ

母と一時は、断絶状態だった私も

大進化だとおもています。




さて、

この娘でてんやワンわだった1週間の一コマに、

2月26日の夜に、

我が家に高校時代の仲良し友達を呼んで

娘のgoing-away party(さよならパーティ)

がありました。


私は、とりあえず

しばらく会えない娘へのお母さん業の最後のお勤め、

そして、お友達たちには

長いあいだぶっ飛び娘に付き合ってくれたお礼の気持ちも込めて

お料理係となり

頑張っていろんなもん作りました。



ちょこっとその時の様子をご紹介^^


やばいなぁぁ。

こいつたち。


お酒は、女子チームが完全強いみたいでした。

私に似たなぁぁ^^; お友達もすごく強くてびっくり!

いちごも大好きだということで、たくさん買ってきたんだけど、あっという間に

女子チームに平らげられました。

パーティ風景。

パーティ風景2


パーティ風景3(小さいですが、我が家にはバーカウンターがあります。

ここの雰囲気を気に入ってくれて、

男子たちが、寒いのに外で男子会してました笑)


私の料理係の様子を誰かが撮ってた笑


テラスハウス状態になってました^^;



でもね、

せっかくの料理の写真が全然ないんですが汗


それはちょうどこの時、

ダーリンが出張から帰ってきて、

私、料理出したらすぐにお迎えに行かないといけなくて

料理の写真とれず。


帰ってきた時には、

ほととんど平らげられてました涙



かわいそうに、ダーリンは、

カウンターで一人チビチビ、買ってきたビールをチビチビ。


でもみんないい子だから

一緒にお話とかしてくれて、

旦那も一緒に楽しくさせてもらいました。。。


旦那さんが買ってきた

メキシコビールも

とっても美味しいとみんな気に入ってくれて

それも良かったかなぁ^^



旦那が帰ってきて、娘が旅立つ。


なかなかな、1週間でした。



娘を応援すると同時に、

旦那さんが無事に帰ってきてくれて、ホッとしています。


あと1ヶ月たらずだけですが、

ダーリンと一緒に、

この家で過ごします。









PEACH☆THEORY

人生いろいろあるから面白い。わたしの人生、8のつく歳に良くも悪くも大きな事件があるなぁと思っていたら、48歳、やっぱりこの8のつく歳もりっぱに変化がありました。渡米、結婚(再婚)、新居のこと、娘のこと、母のこと、仕事に対する思いetc。ここに来るまでにはホント紆余曲折あったけど、開いてみたら、幸せの玉手箱の年だったと思っています。そんな48歳で起こった私のこれやを思うがままに綴っています。

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